叔父が亡くなってからひと月ほどたった頃ゆりちゃんの家に行った。
「ゆりちゃん 相続どうなった?」
「なんかね、まだ上のお姉さんの子どもたちがみつからないのよ」
亡くなった叔父は6人兄弟だった。
上から
長女(一番目の姉 死亡 梅沢さん)
次女(2番目の姉 私の母 お葬式に出席)
長男(叔父の兄 相続でもめにもめて絶縁)
三女(3番目の姉 お葬式に出席)
次男(叔父本人 死亡)
三男(叔父の弟 お葬式に出席)
今話題になっているのは長女だった故梅沢さんの子どもたちの事だ。
教えて!
行政書士の杉本さん!
子どもがいない夫婦の場合、遺産を継承できるのは 配偶者・直系尊属(自分から見た父母・祖父母など)・姉弟になります。
岡林さんの場合、ご自身の祖父母も父母も亡くなっているので配偶者と姉弟になります。
姉弟が亡くなっている場合はその子供たちまでが対象になります。
岡林さんが自筆遺言書を残したので、これを開けるのに「検認」という手続きが必要になりました。
「検認」とは,相続人に対し遺言の存在及びその内容を知らせるとともに遺言書の内容を明確にして,遺言書の偽造・変造を防止するための手続です。
家庭裁判所がから相続人に検認期日の通知を送ります。
ゆりさんはこの手紙を送るための相続人の住所の確認ができなかったのです。
以下裁判所のサイトからの抜粋です
1. 概要
遺言書の保管者又はこれを発見した相続人は,遺言者の死亡を知った後,遅滞なく遺言書を家庭裁判所に提出して,その「検認」を請求しなければなりません。 なお,公正証書による遺言のほか,法務局において保管されている自筆証書遺言※に関して交付される「遺言書情報証明書」は,検認の必要はありません。 「検認」とは,相続人に対し遺言の存在及びその内容を知らせるとともに,遺言書の形状,加除訂正の状態,日付,署名など検認の日現在における遺言書の内容を明確にして,遺言書の偽造・変造を防止するための手続です。遺言の有効・無効を判断する手続ではありません。 検認の手続は,通常は以下のように行われます。
① 検認の申立てがあると,相続人に対し,裁判所から検認期日(検認を行う日)の通知をします。申立人以外の相続人が検認期日に出席するかどうかは,各人の判断に任されており,全員がそろわなくても検認手続は行われます(申立人には,遺言書,申立人の印鑑,そのほか担当者から指示されたものを持参していただくことになります。)。
② 検認期日には,申立人から遺言書を提出していただき,出席した相続人等の立会のもと,裁判官は,封がされた遺言書については開封の上,遺言書を検認します(封印のある遺言書は,家庭裁判所で相続人等の立会いの上開封しなければならないことになっています。)。
③ 検認が終わった後は,遺言の執行をするためには,遺言書に検認済証明書が付いていることが必要となるので,検認済証明書の申請(遺言書1通につき150円分の収入印紙と申立人の印鑑が必要となります。)をすることになります。 ※ 遺言書保管制度については,「法務省のホームページ」(別サイトにリンクします。)をご確認されるか,最寄りの法務局にお問い合わせください。
「あそこんちは複雑だからなぁ。見つからないのは誰?」
「一之、二三子よ。あとはじめちゃんにもまだ連絡してないのよ。はじめちゃんには妹もいたはず・・・」
「はい?はじめちゃんの妹って誰?・・・・って私の従妹か!今初めて存在を知った」
「ともこ、あなた一之の居場所とか知ってる?」
「え!最後にあったのが30年以上前のおじいちゃんのお葬式の時だよ。梅沢の伯母さんが亡くなったのだってゆりちゃんから聞いたんだよ」
「え!おねえさま(私の母)言わなかったの?」
「・・・梅沢さんに関してはあんまりいい思い出がないんじゃない」
「・・・・そうよね」
梅沢さんは2回結婚している 最初の結婚で婚家になじめず、実家に入り浸っていたようだが、最終的に婚家が2人の子ども(はじめちゃんとその妹)を引取り離婚した。
その後、事業家の梅沢さんと再婚したものの、そろって自由奔放な夫婦で「明日から海外に行くから小学生の子供たち(一之・二三子・三波)の面倒見てね」とゆりちゃんに言い残して出かけるようなことがしょっちゅうあったそうだ。
(ゆりちゃんは梅沢家のマンションに行って面倒をみながら会社に行ったそうだ)
ゆりちゃんは次男のお嫁さんだが、長男と父親(私のおじいちゃん)の仲が悪くて断絶状態だったので嫁として同居していた。
私が子どもの頃、お正月に祖父母宅に行くと和服を着たゆりちゃんがせっせとお料理を出してくれた。
(もちろんお年玉ももらった)
ゆりちゃんは叔父の猛烈なアタックに負けて20歳で結婚した。
短大の卒業式よりも前に結婚式を挙げたので卒業証書は現在の姓になっている。
もちろん結婚式には幼い私も招かれた。
おじちゃんはすごくきれいなおねえさんをお嫁さんにしたなぁと幼心ながらに感心した。
のちにゆりちゃんは「なんであんなに早く結婚したんだろう」としょっちゅうつぶやくことになる(苦笑)
新婚時代こそ別居だったものの、早々に義父母と同居することになったゆりちゃんはフルタイムで働きながらお嫁さんとしてがんばった。
姉たちが実家に連れてくる甥っ子、姪っ子もみんなかわいがった。
その中でも、子ども時代だけじゃなくて、高校時代も、大学時代も、社会人になってからも長い休みや長期出張の時などにゆりちゃんちに居候していた私が一番かわいがってもらった事になる。
結婚の遅かった義弟は毎日夕飯を食べに来たし、
長女は突然子どもの世話をゆりちゃんに丸投げするし・・・
私の祖父母(まゆみちゃんにとっては舅と姑)を見送り、
脱サラして居酒屋を始めた叔父のお店のきりもりのため1年後、自分も会社を辞め・・・
ゆりちゃん偉すぎる!
そんな感じで婚家である岡林家の中心人物だったゆりちゃんは、トラブルメーカーだった梅沢の伯母さんが亡くなった時も、姉弟が誰一人として出席しなかった中、叔父を連れてお葬式に行った。
後に母にこの事を改めて聞くと「行きたくなかった」と言葉少なに語った。
次女である母と長女である梅沢の伯母さんは10歳以上年が離れている。
奔放な長女が最初の結婚で幼い子供を連れて実家に帰ってきたときには母が面倒をみていたそうだ。
金銭のトラブルもあったようで、穏やかな母がはっきり「行きたくない」とまで言うというほど深い溝があったのだろう。
話がだいぶそれたが、とにかくその梅沢の伯母さんの子供たちと連絡がとれないそうだ
「でもさ、三波ちゃんとかすごくゆりちゃんに懐いていたじゃない」
「そうなのよね、三波だけは電話が通じたんだけど・・・他の兄妹の居場所を知らないっていうのよ」
「えええええ!!(さすが梅沢家・・・・ここもいろいろ問題を抱えた従妹たちだったっけ。)」
「三波が調べてくれるっていうからもう少し待ってみるわ」
えっと~ 梅沢の伯母さんって確か1回目の結婚で2人(はじめちゃんとその妹)、
2回目の結婚で3人(一之、二三子、三波)子どもがいるんだよね。
先は長いなぁ と心の中でため息をついた。
(ゆりちゃんはもっとため息ついてただろうけど)