それは突然に
ある日、私のスマホにゆりちゃんからのLINEが来た。
仕事中だったので「こんな時間に珍しいな・・・」と思いながら昼休みに確認した。
ゆりちゃんとは私の母の弟(つまり叔父)のお嫁さんである。
血のつながりはないが、子どもがいない叔父夫婦には小さい頃からかわいがってもらった。
叔母のことは下の名前でゆりちゃんと呼んでいる。
「今朝、唯夫さんが緊急入院しました、今は意識があるのですが2,3日もつかどうかとのことで、ともことりえこには逢いたがっているので宜しくお願いします」
「!!!」
え、え?え?どういうこと?
確かに叔父はガンを患ってたけどステージは末期じゃなかったはず・・・
入院するレベルのガンじゃなかったよね?
叔母のLINEに出てきた「りえこ」とは、叔母と血のつながりのある姪のことだ。
(※登場人物紹介)
りえこと私は血縁関係はないし、年齢も離れているが、ゆりちゃんのおかげで一緒に旅行に行ったり、ご飯を食べに行ったりと実の従妹以上に仲がいい。
「早退してすぐに行く。病院どこ?」
「慌てなくていいからね。18時半から19時ごろにりえこが来られるっていうから一緒に来てもらうのがいいかな」
ん?りえこの会社は新宿だったはず・・・四谷の病院に行くのにそんなに時間かかるの?
と思うとりえこから電話が来た。
「あ、ともねぇ、私ね・・・今 おとうさんとおかあさんと松江にいるの」
「えええええ!!」
「勤続10年の特別休暇が出たんで、うちの夫とみんなで家族旅行中だったのよ」
「え・・・ってことは・・・・」
「そうなの・・・・お父さんにも、お母さんにも入院したことがわかっちゃった」
「なんと!」
実はゆりちゃん夫婦と、ゆりちゃんの実弟夫婦はある事件がきっかけでほぼ絶縁状態だ。
叔父は入院したことを絶対に知られたくないだろう。
「ガンってそんなに急変するの?」
「ステージ2の人が急変?わかんないなぁ」
かけつけると鼻に酸素の管は通しているものの叔父はベッドをおこして起きていた。息は苦しそうだが死にそうには見えない。
「おお、遅い時間にありがとな」
息苦しいながらも声はしっかりしている。
「心配したんだよー」
「肺炎なんだって」
「肺炎かぁ、安心したよ、じゃ、よくなるよ」
「いや、俺にはわかる。俺はもうダメだ。俺たち夫婦には子どもがいないだろ、だからお前たちにゆりちゃんのこと頼みたいんだ」
「・・・大丈夫だよー、イマドキ肺炎じゃ なかなか死なないよ」
「いや、とにかく頼めるのはおまえたちしかいないから頼むな。遺言状はもうとっくに書いてあるから法律的なことは心配ないし、俺名義の貯金もほとんどないから大丈夫だけど、とにかくゆりちゃんが・・・ゆりちゃんが心配なんだ」
「大丈夫だよ、死なないから、憎まれっ子世に憚るっていうじゃない。でもまぁ、もしものことがあったらちゃんと私たちで面倒みるよ。」
涙ぐみながら頼む叔父を安心させるように、私たちは軽口をたたきながら約束した。
「ありがとな。おれには故郷がないだろ」
叔父は2歳の時に四国から上京した。以来ずっと同じ場所に住んでいる。
「ゆりちゃんが、ゆりちゃんのいるところがおれの故郷なんだ。だから、だから・・云々」
叔父はゆりちゃんへの想いを延々語った。
「・・・えっとぉ、こんなとこで愛の告白?」
「(*ノωノ)はずかしい・・・個室でよかったよね。だってさ、ゆりちゃん」
「うーさーぎーおーいし かーのーやーまー♪」
「ゆりちゃん何やってんの?」
「唯夫さんの熱弁に合わせて「ふるさと」を歌ってみた。手話付きで(苦笑)」
仲のいい?叔父叔母夫婦を微笑ましく思いながら、なごやかな会話を終了たのを覚えている。
そして叔父は…
入院後、叔父は1週間ほどは
「病院食はまずい、山形屋のうなぎなら食う」
とわがままを言いながらも普通にしゃべって食事もできた。
そして10日後苦しみだした。
ただひたすら苦しがる叔父に、見舞いに来た私とりえこは驚いた。
呼吸ができないと訴えるのだ。
ナースコールで呼ばれた看護士にゆりちゃんが「お願いします」といって点滴し始めたのは筋肉の弛緩作用のあるモルヒネだった。
まもなく叔父の呼吸は楽になり眠った。
「え?肺炎・・・って言ったよね」
「そうよ」
「うそ・・・ゆりちゃん・・・嘘つき」
涙が込み上げてきた。
「嘘じゃないわよ」
「肺炎じゃないでしょ・・・間質性肺炎なんだよね。モルヒネって間質性肺炎終末期の呼吸困難緩和に使用する薬・・・」
困ったように叔母が言った
「病名には肺炎ってついてるでしょ。嘘は言ってないわ」
その時すべてを悟った。この夫婦は本当に覚悟を決めて私たちを呼び寄せたんだ。
「え、わかんないよ?その違いってなに?」
りえこはひたすら戸惑っている。
「肺炎は・・・肺をコップにたとえるなら中の水が濁ってしまう現象。間質性肺炎はコップが壊れちゃう現象」
「え・・・壊れたら酸素・・・それで苦しいんだ。治療法は?」
「・・・コップが壊れすぎるとできることは何もないよ」
たまたま私の知人で間質性肺炎になった方がいて、知識があったのが災いした。
私は気づいてしまったのだ。
ボロボロ泣く私の背中をなでながら叔母は言った。
「入院した時にちゃんと説明受けたわよ。二人で生きてきたじゃない。だから二人で決めたの」
間質性肺炎の原因のひとつに抗がん剤の副作用があげられている。
叔父はその年の3月から抗がん剤の治療を受けていた。
そして入院して3週間後 叔父は亡くなった。
叔父の希望どおり誰にも知らせず、叔母と姪ふたりで見送った。
※ここまではほぼ本人の希望どうりの最期です。叔父が残した遺言状はこの後びっくりするような経緯をたどります